昭和四十五年十一月二十五日午後零時、三島由紀夫氏は陸上自衛隊東部方面総監室前のバルコニーから「自衛隊の真の国軍化、日本人の精神の復活」を訴え、愛する歴史と伝統の国日本のため、その才能、名声、そして家族…自らの全てを抛って壮烈な割腹自決を遂げました。この驚天動地の義挙は、偉大な天才の喪失を嘆く声と共に、戦後日本に安逸としていた日本人の魂の奥深くを激しく揺さぶり、また氏の没後に生を亨けた若者の心をも引きつけてやまぬことは毎年開催される「憂国忌」が証左しています。
当会は三島氏自決からわずか十六日後の昭和四十五年十二月十一日、平岡家での葬儀もまだ終わらぬ間に、文化人有志と日本学生同盟の主催で「三島由紀夫氏追悼の夕べ」が豊島公会堂で開かれたのを初めに、翌年二月二十五日に正式発足しました。同年三月二十一日多摩霊園に墓参、二十六日には坊城俊民、村上兵衛氏をお招きして第一回目の公開講座を開き、爾来五十数年にわたって、毎年の「憂国忌」、三百回以上に及ぶ公開講座を主催、また演劇、映画上映の協賛等、三島由紀夫氏の「祖国への愛と憂い」を継承するために、そして将来の研究者たちに大きな遺産を遺したいと活動しております。皆様のご参画をお願い申し上げます。
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