没後39年「憂国忌」の御報告

シンポジウム記録(続き)

シンポジウム
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日本はアメリカに永久占領されるのか?

西村幸祐氏 私も何年も前から檄文の中の「あと二年」が気になって、いったい何なのだろうと考えていた。ひとつは米中接近。もうひとつは沖縄返還だろう。
 沖縄返還はあの時にもう1972年と決まっていて、日本という国家は独立できないまま、半独立国家としてアメリカによって永久に占領され続けることを三島は見抜いていた。それを見抜いていた三島が書いていること全てが私たちに突き刺さってくる。天才の所以だ。
 認識と行動の問題もつくづく考えさせられる。私は、三島は二元論に自分を追い込んでいって、ラジカリズムがニヒリズムを克服するという方法論をとったのではないかと解釈している。
 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会のメルマガ)にそのように書いていた渡辺望氏の論にまったく同感である。
 松本氏は三島が誤解されていると述べた。偏見を持つ方がおかしいが、三島の価値をよみがえらせるには、政治というジャンルから抜き出して、広い思想的な枠組みの中で解明していくという方法論が必要ではないか。そうすれば三島の本当の価値が広まるのではないだろうか。
 三島は、現実のアクチュアルな問題も十分に捉えていたわけで、1970年の時点で、その二年後に自衛隊がアメリカの傭兵になると言い切っていたのは、米中接近と沖縄返還の二つを視野に入れていたからだ。

 驚くべきことは小沢一郎が十数年前に言い出した、自衛隊を二分して国土防衛の自衛隊と国連軍として待機させる自衛隊にすることは、遥か前に三島が書いていた。その発想は三島が40年前、昭和43年ごろすでに書いていた。それを憲法改正ができない前提で書いていた。国連軍として入る自衛隊については核のシェアリングも考えていた。日本の核戦略をあの時点の状況で現実的に考えていた。日米安保体制下の日本の自主防衛をどうすべきかを、40年前のあの制約の中ですでに考えていた、すばらしい慧眼の持ち主である。
美学的、思想的な、たとえばエロティシズムやニヒリズムだけが三島思想だと語られ、政治的なことは浅くて粗雑だと思われてきた。それはそういう三島批判が、ある一方からされてきたからだが、実はそうではないということを申し上げたい。

アクセルとブレーキと

西部邁氏 西村氏の論に同意できる。三島は『檄文』で「アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である」と述べ、最後の方に「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる」、「それは自由でも民主主義でもない。日本だ」と書いている。
 この「自由でも民主主義でもない」を分かりやすく言えば、三島は特攻世代だから、三島の頭の中にははっきり、日本の特攻隊はアメリカ軍と戦ったんだということが当然のこととして残っている。これは反米ということではない。三島文学の中で「アメリカ」は歯牙にもかけられていない。これを逆読みすると、文学者の感性、美意識からいって、三島にとって「アメリカ」はまともに受け入れるべき存在でないことは自明のことだった。従ってそのアメリカが日本の自主独立をよろこぶはずがない。そんなアメリカの自由民主主義はまともに受け容れる必要のない価値観であると思っていた。
 アメリカは文明の本質論として左翼国家だとしか思われない。左翼の定義は、フランス革命に見るように、自由、平等、友愛(博愛ではない)という理想主義的綺麗事で歴史に大破壊を起こせば、そこから進歩が齎されると考えた人々が、18世紀末に議場の左側に座ったことに由来する。

 アメリカは歴史感覚の乏しい国で、近代主義を個人主義的に実現しようとした巨大な実験国家である。そのような歴史に実験をしかけた意味において、左翼国家としてアメリカを捉えるのが文明論の本道であると思う。冷戦構造の他方の雄であるソ連は近代主義を集団社会主義的に実現しようとした。
 その大筋を抑えておけば、18世紀から始まった近代文明の純粋化の中で、ヨーロッパはアクセルを踏んだが、ブレーキをかけないととんでもないばか騒ぎが起きると長い歴史の中で分かっていた。しかしそのブレーキをかけることを進歩の障害と考えた両巨頭がアメリカとソ連で、その両者が第二次世界大戦の勝者となって戦後冷戦を始めた。
 戦後日本は、アメリカ的なものを保守とみなし、ソ連的なものを革新とみなすという、馬鹿げた思想の分類軸で自分を位置付けたり、他人を評していることを半世紀以上続けてきた。そう考えたら、如何にりっぱな国民民族でも頭はしびれ背骨は溶けるだろう。その病理が一切確認されないまま、ソ連が滅び、それに踵を接して社会党や共産党が衰退し、平成に入って日本が少しでもよくなったかと言うと、小泉に代表される者らが、アメリカに倣った構造改革をやって、ぐしゃぐしゃにしてしまった。

 そのアメリカは、内部で共和党的な個人民主主義と民主党的な社会民主主義がシーソーゲームをギッコンバッタンやっている。それを永久に続けることが歴史の乏しい左翼的実験国家の宿命だ。これはアメリカを馬鹿にしているのではない。内地から日本の中のアメリカのような土地に流れて来た北海道人として、アメリカの気持ちはよく分かる。
 自民党は自分たちこそ長年改革をやってきて、世界に冠たる平等国家、福祉国家を日本に作り上げた進歩主義政党だと自慢していた。しかし推し進めた改革はアメリカのギッコンバッタンを日本に持ち込んで同じことをやっていただけだ。昭和時代は戦前戦中世代が多く、進歩主義の中にまだ歴史の感性が無意識に日本の国柄を引きずっていたから、自民党のつくりだした平等福祉国家改革には日本的経営というような日本的なやり方が組み込まれて、アメリカ的な改革が進められていた。

 しかし平成になると政界、学界、財界すべてで世代交代が進み、戦後世代になり、歴史がエバポレイト(蒸発)してきている。これには或る種段階的変化があって日本の国柄を無意識に引き摺っていた昭和時代の常識の最後のかけらまで、砂漠のようなものの中に没してしまい、アメリカで行われている個人民主主義と社会民主主義のギッコンバッタンのシーソーゲームを平成の20年間、無自覚にやっていただけなのだ。そんなギッコンバッタンを続けていたらわが日本民族は、脳震盪を起こしてぶっ倒れるだろう。杉原氏から、そんな日本の庶民を信じろと言われても小生にとっては空文句だ。
 三島を礼賛するつもりはないが、心持ちからいえば、三島のサル真似でもして何時なんどきでも死ぬに吝かではない。
 あの時三島は本当に絶望していたのではないのか。何に絶望していたかというと、自分の文学の能力の限界に絶望していたと馬鹿な文学者は言っていたが、本当は日本人に絶望していたんじゃないのか。
   あれからもう39年経った。日本にまったく希望が無いとは言わないが、39年経ったというすさまじい時間の持続を考えたら、我々がどれほど深々と砂漠の中に足を突っ込んでいるかを考えたら、そこでなお且つ物を言うとしたら、日本人にはほとんど一切希望を持つことはできないと言い、この社会はどうしようもない大脳震盪を起こし、周章狼狽、呆然自失に陥るだろうと、(心ひそかに云わんこっちゃないという気持ちで)にこやかに言う。これは皆さんを励ます為に言っているんです。

 ある程度の覚悟と認識をもって、ある程度責任ある行動をとろうとするなら、ほぼ負けを覚悟してでないとできない。頑張ればいいことがあるだろうなんて生易しい状況ではない。負けを覚悟しなければ物を言う気がしない。勝つだろうなんて希望は何処にもない。頑張れば勝ちますよとは最も人間を疲れさせる言葉だ。小生は高らかに、「なんの希望もないのである」とにこやかに言う。事態はそこまで来ている。

富岡幸一郎氏 西部氏のアジ演説で、50年前を彷彿とさせるものでした。来年は日米安保改定50周年です。5条と6条をどう改定させるかでもう一度国会に突入する勢いです。
 さて三島は『檄文』で、自衛隊に対して建軍の本義を問うている。それは「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守ること」にあるとはっきり言っている。すなわち建軍の本義は「国体」を守ることだ。

 今皇室についての議論がいろいろあって、それは天皇のあり方を含め、混迷を深めている。しかしこれを避けて保守の思想は通れない。
 三島は「文化概念としての天皇」と言ったが、これは三島思想の核心部にあると思う。「天皇はいなくていいのか」という特集を『表現者』でした。もちろんいるべきだということだが、この議論をしたい。


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庶民は周章狼狽するが、英雄は必ず現れる

杉原志啓氏 西部氏が庶民を信用していない、彼らは周章狼狽するだろうと言った。
 私が言いたかったのは周章狼狽した時に英雄が現れるということで、その現状認識はここにいる皆さんと同じだと思う。
 政治学の授業の教室で20人くらいの学生に、三島を知っているかと聞いたら、知っていたのは一人だけだった。その学生に何を読んだと聞いたら『金閣寺』を読んだという。面白かったかと聞くと、よく分からなかったという。私は『英霊の声』を読むことをその学生にすすめた。

 ところがついでに村上春樹を知っているかと聞いたら全員知っていた。なんで知っているかと聞いたらゼミで読んだ、先生に読まされましたと。 これは本末転倒だろうと思った。私は、三島は分からなかったが偉かったと当時から思っていた。戦後を黄金万能主義、拝金主義だと『英霊の声』で言っている。「などてすめろぎは人となりたまひし」。戦後大義が失われ崩壊した最大の原因は、天皇が神でなくなったから、人間宣言したからだと三島は言っている。

 天皇が神の座を降りて、日本に絶対的機軸が失われてしまった。絶対的でない人間は、人が死んだときに意味を与えることはできないだろうと三島は言っている。日本は、人間中心的、平和主義的、生命尊重主義になってしまった。自分の命を最高の価値としてしまい、自分を律する或る崇高なもの失い、お金がその代わりになってしまったと言っている。
 先に吉田松陰の話をしたが、やはり三島の「文化概念としての天皇」論を、悪いとは言わないが、政治思想を語っているというよりは文学者の観点から天皇を論じていると思う。それを悪いとは言っていない。私はもっと実践的に、憲法一条で天皇を国家元首として位置付けることを願っている。
 憲法改正についての法理論上の議論は尽きている。もう政治的決断の時だ。しかしそれが出来ないでいる。それはまだどん詰まりに行っていないからだ。私は日本国民の常識、庶民の常識を信じている。究極的なところで英雄が出てくると思っている。

西村幸祐氏 三島における天皇というのは難しいテーマで、ずっと考えている。ひとつ言えるのは、絶対者が必要だということだ。
 それが幻の南朝の天皇なのか、ザイン(存在)としての天皇なのか、ゾルレン(当為)としての天皇か。ゾルレンとしての天皇だけが天皇なら、ザインとしの天皇は何処に行ってしまうのかという議論になり、それが解釈を難しくしている。
 『文化防衛論』は後半で文章がいささか混乱し、その提起している問題は相当難解になっているが 非常に重要なことを提議している。しかし今明解に説明できない。
 現実の皇室の問題で言えば、私は楽観主義と悲観主義の中間くらいにいる。40年前の東大全共闘との討論で三島は、これだけの言論の自由の中で皇室が存在していられるという、それゆえの天皇の意義を言っていた。

 それから40年経った即位20周年の日に、NHKが不可解、僭越、無意味な世論調査を発表していたが、平成の転落堕落の御世を経てきて、それでも象徴天皇制を国民の九割近くが受け入れている。我々が考えている以上に天皇という存在は、それを意識していない人にとって本当は身近にいるという見方ができる。
 その一方で自分は全く関係ないよと思っている現実がある。杉原氏が言っていた、20人の学生の一人しか三島を知らない状況がある。西部氏は日本人に絶望し、杉原氏は信じたいと言っていた。私はちょうどその半分くらいだ。
 ひとつ言いたいことは、おそらく日本は、三島が想像していた範疇をはるかに超えた事態になっている。外国人参政権法案が平然と政権与党から出てくる状況を三島は考えてもいなかっただろう。
 「国民」という言葉がいつの間にか無くされている。三好達治の「二つとない祖国」という言葉で始まる詩があるが、外国人参政権は「二つとない祖国」を根底から打ち砕くものだ。

 政治状況的に言えば、冷戦に負けた左翼勢力が、日本の中では冷戦に勝った。ベルリンの壁が無くなった後、西ドイツが東ドイツを統一したが、日本では見えない「東京の壁」が崩れた後、東日本が西日本を統一した。それが今回の衆議院選挙だったという認識を持つ。
 昭和が終わり、どんどん失われた日本人の歴史意識、歴史を知っていた人々に代わるものが無くなった。この状況は深刻に受け止めざるを得ない。
 皇室の問題は、絶対者としてのイデアが日本人の心の核の中に存在し続けるものであるべきだというのが私の考えだ。

天皇的なもの、とは?

西部邁氏 『英霊の声』を読むと「などてすめろぎは人となりたまひし」の前にこう書いてある。戦後のひどい大衆状況の中で、なぜ天皇は人となったのだとある。そういう文脈の中にある。単に天皇だけを取り出して人間宣言を云々するのではなく、戦後の状況の中で語られている。
 西村氏の言うとおり、我々国民の精神の内部に「天皇的なもの」がなければならない。その意味するところは、日本人の歴史意識の中に独特の価値意識、規範感覚があり、その価値の上にはさらに上の価値がある。さらなる上の価値があるとするなら、日本人の歴史意識にその価値を真剣に受け止める常識があれば、最高位の価値としての絶対の次元、超越の次元、聖なる次元と言わざるを得ないものを、なかば無自覚にしても感じとらざるを得ない。そういう大衆ならざるまっとうな国民であるなら、天皇に象徴される神聖性、絶対性は、自分の外に外在するものではなく精神の内部に伏在するものだ。それをぜんぶ投げ捨てたものを大衆と呼ぶなら、そこに天皇が神聖性をかなぐり捨てて人となることの空恐ろしさを三島は語ったと思う。それが小生の解釈だ。

 『太陽と鉄』の死の哲学は、そこにある三島の気持ちはよく分かるが、失敗作に近いと思う。『文化防衛論』においても納得し難いことがある。三島は文化とは何かを論じて、それは国民精神であるという。作品と言う実体ではない。お茶だ、お花だ、能だ、歌舞伎だという伝統工芸、伝統芸能が文化ではない。そこに含まれている国民の生き方、精神が文化だと言っている。しかし論を追ってゆくとしだいに実体ではなく形式だと言っている。天皇論をめぐりながら納得し難い解釈に三島自身が引き摺りこまれている。
 実体に裏付けられない形式は空虚で、形式を持たない実体は虚しい。形式と実体の統一融合を考えていくと言葉の問題に逢着する。言葉はフォームを持ちながら、発音、文章、ボディランゲージ含めて実体を伴う。

 問題をずっと追っていくと、三島が言いたかったのは、文化の崩壊は、天皇という制度の崩壊だけではなく、その崩壊のもっとも強く意味するところは、日本人の歴史をぎりぎり成り立たせているナショナル・ランゲージである「国語」が大衆の中でかくも乱れ染めにしになったことだろう。小生はそう感じる。 三島をめぐってそういう問題も含んでおり、我々は歴史、文化、伝統について、その意味するところをもっと探るべきではないか。

富岡幸一郎氏 三島邸に、ある若い自衛官が行ったら、家はロココ調、洋服を着て、酒は洋酒だった。酔った自衛官が、「三島先生、何も日本の伝統的なところがないですね」と言うと、三島は、「俺は深夜、日本語を書いている。それが俺のアイデンティティだ」と答えたという。
今日の議論はすべて『檄文』から発している。松本清張は作家の文章と思えないと言ったが、文武両道の三島の文学者の姿がこの『檄文』の中にあると思う。今日は39周年と言うことで三島思想について議論をした。

 以上でシンポジウムは終了し、司会の菅谷誠一郎が次のように閉会を宣しました。


 「憂国忌」は浄財とボランティアで過去39年間続いた国民的行事です。
三島先生の御命日である「憂国忌」の他に、年に数回公開講座を開催しています。「憂国忌」は来年も再来年も日本が日本のほんとうの姿に戻る日まで永遠に世代交代をして続けます。本日は多数の皆さまにご参集いただき、まことにありがとうございました。来年は40周年の大イベントを九段会館大ホールで開催いたします。来年も11月25日「憂国忌」でお会いしましょう。


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