第二部 講演(没後37周年「憂国忌」の概略記録)
武士道の悲しみ 最後の特攻隊としての三島由紀夫


講師 井尻千男氏(拓殖大学日本文化研究所所長)

井尻千男氏

 憂国忌、第二部に井尻千男氏が「武士道の悲しみ 最後の特攻隊としての三島由紀夫」という演目でご講演頂いたが、会場も満員で、本年行われた三島由紀夫関連の講演でも最高峰に位置する内容であった。
 井尻氏が掲げた三島由紀夫の言葉は昭和45年の産經新聞に掲載された「果たしえていない約束 私の中の25年」の一節を当時日経新聞の記者であった氏は何度も読み返していたと述べている。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」

 三島の倒壊的心理を描写していたのであるが、将来の日本の状態を見事に的確に言い表した言葉である。三島氏は誰と果たし得ぬ約束をしていたのだろうか?
井尻氏は一つの推測をする。三島自身は明確な答えを出してはいないが、「英霊」との黙約ではないかと考えている。それと三島が少年時代に影響を受けた憂国の士である二・二六事件の特高も含まれているのではないかと考えている。

 井尻氏は三島事件以後1970年代に大勢の知識人が三島的思想からの大逃走劇があったと語る。
そして振り返ると、文壇では江藤淳や司馬遼太郎の存在が大きくなるのだ。江藤は三島が最大の意欲作として臨んだ『鏡子の家』を膨大な枚数の評論でコテンパンに非難する。
三島としては戦後日本が迎えた、空虚、ニヒリズムを的確に描写したのだが、江藤は「リアルティ」がないとして痛烈に書き上げる。しかしそれに対して非難をせず、静観していたのは三島なりの美学と言えるだろう。
 現代日本が、欧米列強に感化され、GHQの教育により、日本の原点回帰は遅れ、多くの知識人は三島事件当時に、その行動に対して距離を置く事で中間の位置を保っていたが、現代になり三島由紀夫の発言や、行動がリアリティを持って人々に理解されようとしているのは紛れのない事実である。
 結局、江藤淳も最終的には「西郷南州」の評伝を書く事で精神的に三島由紀夫と和解する事になる。

 井尻氏の講演は日本人の源泉と言える万世一系の天皇制や、日本文化を堅持する事の大切さと、三島由紀夫の精神は決して色褪せるのではなく、今後も議論され、継承される事の大切さを訴えているのだ。
 江藤や司馬をありがたがるのではなく、改めて三島由紀夫の声に耳を傾け、原点回帰を思考する。
 文学のみならず、沖縄の教科書検定など米軍の支配から逃れる事も出来ず、袋小路に陥っている憲法を打破し、日本民族として原点に立ち返った議論が必要であると私たちに井尻氏は伝えようとしているように感じられた。


(秋山大輔 記)

 なお、講演要旨の正式な記録は『月刊日本』、2008年正月号を参照ください。

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