三島は何故、二回もヴァチカンに行ったのか。何をそこに見ようとしたのか、が長い間誤解されてきた。 「太陽!太陽!完全な太陽!」と三島は「アポロの杯」で叫んだ。 太陽へのあこがれは、この船による長旅で、ハワイに近づくにつれ日光が強烈になる。「私は暗い洞穴から出て、はじめて太陽を発見した思ひだつた」と彼は「私の遍歴時代」にもしるすのである。そしてデッキで日光浴をしながら、「肉体的な存在感」が稀薄なことを改めておもい至る。 「存在感」への飢渇感を三島は実感するのである。だからこそ、あの強烈な肉体美を誇るギリシアの彫刻の美に吸い寄せられ、ギリシアは「眷恋の地」と表現されるに至る。 三島にとっての「戦後民主主義」は、こうして「ギリシア」に象徴される、彼の独自の世界へと逃亡しているのである。つまり「敗戦」と日本精神の希薄化状況、アメリカ化への絶望が「暗い洞穴」であり、「初めて太陽」を、世界人類史の民主主義発祥の地を見て、思いついたのである。
「私は希臘にゐる。私は無上の幸福に酔つてゐる」 「絶妙の青空。絶妙の風。夥しい光」 「私はかういふ光りと風を心から愛する」 対して日本の 「知識人の顔といふのは何と醜いのだらう」