「潮騒」
――歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。 この島でもっとも美しい場所のひとつとして挙げられている「八代神社」は八坂神社がモデルとなっている。神島の主産業は漁業であり、ここに住むすべての島民は、漁の成功と無事を祈ってこの神社を参拝する。したがって八坂神社は昔から島民の生活と密接に関わりあってきた神社であるといえる。
![]() 『潮騒』の代名詞とも言うべき燈台。ここからは伊良湖水道から太平洋にかけて壮大な景色が一望できる。「八代神社」とともに眺めの美しい場所としてあげられた場所であり、またそれは恋の成就した新治と初江が最後に訪れる場所でもあった。 ――眺めのもつとも美しいもう一つの場所は、島の東山の頂きに近い燈台である。 ![]() ――燈台長は燈台へ二人を案内した。(中略)二人は窓から、その光りが暗い波の立ちさわいでゐる伊良湖水道を、
右から左へ大きく茫然と横切るのを見た。(中略)二人はお互ひの頬を、触れようと思へばすぐ触れることもできる近くに感じた。その燃えてゐる熱さをも。……そして二人の前には予測のつかぬ闇があり、燈台の光りは規則正しく茫然とそれをよぎり、レンズの影は白いシャツと白い浴衣の背を、丁度そこのところだけ形を歪めながら廻つてゐた。 伊勢の海を照らしだすこの島の燈台は、新治と初江の恋のゆくえにも光を照射し、彼らを見守る存在でもあった。小さな幸福、小さな恋、それらすべてを照らしてくれる燈台の光りは、まさに「神の加護」という表現が相応しい。島の東には伊良湖水道が眺められ、海流の響きが絶え間ない。言うまでもなく『潮騒』という題名はそこからきている。燈台から愛を確かめあうふたりの耳元には、崖下を流れる伊良湖水道の潮騒が幸福の序曲として聞こえていたことであろう。 ![]() ――二百段の石段を昇つて、一双の石の唐獅子に戍られ鳥居のところで見返ると、かういふ遠景にかこまれた古代さながらの伊勢の海が眺められた。―― ――このとき急に嵐が、窓の外で立ちはだかつた。それまでにも風雨はおなじ強さで廃墟をめぐつて荒れ狂つてゐたのであるが、この瞬間に嵐はたしかに現前し、高い窓のすぐ下には太平洋がゆつたりとこの持続的な狂躁をゆすぶつてゐるのがわかつた。 「観的哨跡」は、燈台から更に15分ほど歩いたところにある。その間の道は険しくぬかるんでいるので辿り着くまでは困難である。「観的哨」とは、戦時、伊良湖崎の向こう側の小中山試射場から射ち出される試射砲の着弾点を兵士が確認するための建物であった。3階建ての頑丈な鉄筋コンクリートであったが、現在、外壁は所々ひび割れ、黒ずみ、内壁にはたくさんの落書きが書かれている。作品でも「廃墟」や「牢屋」という言葉で表現されている。建物のおどろおどろしさとは対照的に、内部の窓から眺める景色は圧巻である。刳り抜いただけの広い窓から、広大な太平洋が眺められるのだ。天気のよい日など特に素晴らしい。室内が暗いため、そこから眺める景色は、海の反射と太平洋の健康的な明るさとで目も眩むほどである。大きな窓枠がちょうど一枚のキャンバスであるかのような錯覚を与えてくれる。 写真・文 高寺康仁 |
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