あの日から瞬く間に半世紀の歳月が流れ、わが国の世相も社会もすっかり変貌したかに見えるこの頃ですが、事件は風化しているのではなく、深化しているのではないでしょうか。
一日たりとも忘れ去ることが出来ない五十年でした。三島先生と亡弟の諌死に思いを馳せ冥福を祈る日々でした。
憂国忌を発起された多くの先生方や関係者が物故されましたが、依然として集まりは絶えず、しかも年々歳々、若い参加者が増えていると聞き及んで、一種安堵感があります。
過去に憂国忌に出席し、嗚呼こうして舎弟も祀られているのかと、ただ感謝申し上げておりました。
この集いを裏方で支えた皆さん、賛助を寄せられて物心両面で支えて下さった皆さんに、こころから感謝申し上げます。
舎弟・必勝が三島由紀夫先生とともに諌死を遂げるにいたった理由を、ずっと考えて来ました。残った資料や、文献を渉猟しました。たくさんの人々が墓参に来られ、話し合いもしてきました。いまだに確定的な解は出ませんが、半世紀を閲しても、こうして多くの人が命日に馳せ参じて、あの事件の意味を問う集いを開催し続けている理由も、そこにあるのかと思われます。
五十年忌という大切な節目に、東京に駆けつけたい思いは募りますものの、わたしも九十歳を越えて無理ができなくなりました。
五十年祭の多面的な意義を噛みしめながら、遠く四日市から厳粛なるご盛会を祈っております。
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