正気と崇高と
この「義」は言葉を換えると「正気」(せいき)になる。正しい気である。
保田與重郎に内村鑑三と岡倉天心を描いた『明治の精神』(昭和12年)がある。内村という「明治の異端」は沈積した「正気」のひとつの発現だ。
三島の自決を彼の内部の問題として解釈するのは近代的な考え方だ。作品から内的ないろいろな情報を引き出す解釈病は三島がもっとも厭うものだ。そんな文学的解釈は意味がない。
三島は「正気」に呼び出されたのだ。彼を歴史的な「正気」と見たらいい。特別な時に光を放つのが「正気」だ。そう見ることが三島への最大のオマージュ、頌になる。
正気(しょうき)とは個人内部のこと、「正気」はその上にある天地正大のものだ。
水戸藩の上屋敷跡地の隅田公園に大きな石碑が立っているが今や誰も振り返らない。これには幕末そこに幽閉されていた藤田東湖の『正気の歌』が刻まれている。
奈良の物部氏、平安の和気清麻呂、江戸の四十七士に続いて幕末の吉田松陰があった。松陰は「正気」を「汝」と呼びかけている。「正気」は観念ではないのだ。この「汝」が松陰を呼びだした。この流れに三島もいた。
私は平和な現実で言論をやっているが、福田恆存は「言論は虚しい」と言った。重力のままに現実は動いている。残酷なまでの必然性で動いている。
これを打ち砕くのが」「狂」だ。内部の正気を上回る「正気」が絶対的な献身を求めてくる。個人的な正気はレベルが低く、重力のままの現実を打ち砕く力はない。例外的に垂直的なものが生まれる。三島も垂直的な存在だ。
歴史の怖ろしさ、歴史への畏怖を大切にしたい。
松下村塾の塾生約40名のうち、明治まで生き残ったのは半分だ。その教育をすぐれたものというような俗論的理想論ではダメだ。「学ぶべきもの」とは恥ずかしくて言えない。その苛酷な部分を消毒してしまってはいけない。」「狂」はほんとうの変革に結びつく。松陰の」狂」は三島に通じる。
イタリアから帰国して、すぐ《朱雀家の滅亡》を観に行った。死の二年前の作品で「静かなる狂人」が登場する。
「ある美しい帝国がほろんだ」という科白に感銘を受けた。戯曲で読むのと違って三島の肉声を聞くようでその烈しさに震えた。
東日本大震災後はじめてのこの憂国忌で、大震災のモラル的意味を深く捉えたい。
明治維新後の文明開化、敗戦、戦後復興、高度成長を経た近代日本を、この大震災で問い直さなければならない。三島の根源的な批判はその意味をますます持ってきている。
日本の近代文学は人間解放の文学だったが三島はしだいに文学的ではない言葉を発するようになった。それは「正気」に呼び出された使徒の生き方だといえる。
サンケイ新聞の《果たし得ていない約束》の文章はじつに素朴で、ストレートだ。天才作家らしくない純粋で素直な文だ。三島は「美」の天才から「義」の使徒になっていったのだろう。
道義的革命とは?
天才は才能のままやりたいことをやる。使徒は「已むを得ざるなり」にぶつかり、上の「正気」から呼びかけられてやる。好きなことがやれる束縛がない状態を幸せ、幸福という考えはよくない。
「已むを得ざるなり」にぶつかり、使命に取り組むことこそが逆説的に幸せだと思う。福本日南は神風連を「清教徒的使徒」と呼んだ。当時も理解しがたい事件だったが彼等は何かに突き動かされる使徒的な存在だったのだ。
三島が磯部浅一を取り上げた『「道義的 革命」の論理──磯部一等主計の遺書について』によると浅一は国土、人民より天地正大の気が最も根本的で大切だと言っていた。二・二六事件は国土、人民をまもるものではなく神州の「正気」を問題にしていた。
保田が言っていたように日本には「正気」が沈積している。ここに日本の希望がある。ある時ある人間を通じ「正気」が発せられる。この「正気」が日本にあることは大いなる希望だ。
内村は明治27年『大文学論』を書いた。日本文学は小文学の大繁栄だ。なぜ大文学が出ないのか。時間をかけて大文学をやるべきだった。これを深く反省しなければいけない。昭和30年代がなつかしいなんて最低だ。それでは重力的に動いている日本の脱落傾向を止められない。志賀直哉、夏目漱石を振り返っていてはダメだ。少なくとも明治の精神、幕末維新に戻らないとダメだ。文学も「大文学論」を展開しなければいけない。
「正気」はそうじゃない人の方を呼ぶ。義だ、義だという人は呼ばない。美だ、美だという人に「義」の使徒としての役割をふる。
そこに「義」に引きずられた三島の悲劇性が起ちあがる。それは40年経っても我々を揺さぶる。生々しい畏れをもって三島を思い出すことが礼儀である。
次に追悼挨拶を石平氏が行った。
石平氏のスピーチ要旨:憂国忌には35回から参加している。日本に留学して通った神戸大学の図書館で、三島事件関連の本を読み衝撃を受けた。
自決したこと自体衝撃的だったが、日本文学界に君臨して近い将来ノーベル賞を獲ろうという人生の絶頂期に、手にした富や栄光のすべてを捨てて大義のために自決したことに強い衝撃をうけた。
中国の英雄、豪傑は義の為に起っても栄光や富を捨てるようなことはしない。
中国は共産主義革命をしたが、その本質は〈インターナショナル〉の歌詞の出だし「起て飢えたるものよ」に出ている。腹いっぱいなら起つ必要はないというレベルの低い即物的な思想なのだ。
この対極にある資本主義は「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない」即物的、物欲的な思想だ。
20世紀を席巻した二つの思想だが、この時代に生きた三島は自ら命を絶つことによりこれらにそれらに「NOT!」を突きつけ超越した。そこに三島が起った意味がある。共産主義を否定していた三島だが、一番憂えていたのは資本主義に毒されて日本精神、天地正大の気を失った日本である。
三島は手に入ったすべてを捨て命を絶って20世紀を超越する哲学を提起した。
資本主義はダメになり、死にかけている。そこには何が生きているのか。三島由紀夫が生きている。その背後にあるのは日本の精神、日本の天地正大の気だ。
三島が命を絶って守ろうとした日本の精神は新しい文明を築き新しい哲学、ビジョンを提起するものだ。これからもみなさんと一緒に「三島」を勉強していきたい。
三番目にヘンリー・スコットストークス氏が壇上に登った。
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