没後四十年「憂国忌」の御報告


三島由紀夫没後四十年、「憂国忌」に1300名!
三島、森田両烈士の御霊安かれ、と厳粛な式典とシンポジウム


没後40年「憂国忌」

 平成二十二年十一月二十五日、九段会館大ホールにおいて没後四十年追悼会「憂国忌」が開催され、全国から1300名が集った。
 三階まで立錐の余地がないほどで各階に立ち見がでるほど盛況だった。
 開場の四時前にはやくも九段には長蛇の列がつづいたが、粛々と参加者はロビィの祭壇におまいりをすませ、また廊下に展示された珍しい写真パネルなどに見入った。
 特別に販売された『憂国忌の四十年』など関連図書も売り切れとなった。用意された記念冊子も不足するという異例の事態、事件から四十年を経ても、この人気。まさしく三島由紀夫は「死後も成長する作家」である。


九段会館大ホール会場前

 第一部の鎮魂祭は、森田必勝烈士の実兄から寄せられたメーッセージ朗読から始まり、乃木神社神職による厳粛なる式典が進行、辞世吟詠につづき参加した発起人が玉串奉奠を行った。
 祭主は松本徹(三島文学館館長)、祭文を朗読した。その後、シンポジウム発言者、女優の村松英子さん、イタリアから駆けつけてロマノ・ヴィルピッタ氏、韓国から池東旭氏ら二十名近くの発起人が玉串を奉奠し、最後に全員を代表して九州から駆けつけた清水九大名誉教授とともに、参加者全員が起立、奉奠にあわせた。


九段会館大ホール会場内

 第二部は「あれから四十年、日本はいかに堕落したか」と題したシンポジウム。井尻千男、遠藤浩一、桶谷秀昭、西尾幹二の各氏が登壇、司会は宮崎正弘氏が担当した。議論は盛りあがり、時間切れとなったが、この模様は後日、雑誌に纏められ、また桜チャンネルで後日、放送される。


シンポジウム

 閉会の辞は直木賞作家の中村彰彦氏。最後に全員が起立して「海ゆかば」を合唱した。 参加者は「心が落ち着いた、良い式典だった」「シンポジウムも中味が濃くて参考になった」「来年も参加したい」など思い思いを秘め、帰路についた。
 裏方を支えた実行委員と発起人合同の懇親会が引き続いて同会館宴会場に場を移して開かれ、とくに学生運動以来三十数年ぶりというOBらの交換風景、三島ファンと発起人の先生方との座談などが繰り広げられ、この会も予測をはるかに超えて二百名近く、熱気に溢れた。


懇親会


追悼四十年祭 「憂国忌」の祭文

 かの日の真昼、精神の雷撃が炸裂して、はやくも四十年が経過いたしました。
 こころある人々は、その轟きを耳底に留め、反芻し、時代に流されまいと努めてまいりました。
 しかし、この国日本は、なほ一層精神の窓を固く閉ざし、平和といふ安逸を貪り、金銭の利得の計算に時を費やして来ました。その揚句、いまやその平和も金銭の利得も、手からこぼれ落ちようとしてゐます。
 安逸の夢は、足元から土崩瓦解しやうとしてゐるのです。

 しかし、その危機を目前にしながら、責務ある者たちは、逃げることに終始し、その危機を告げるべき者たちも、多くは知らぬ顔をしてをります。
 かかる時、われわれはなにをすればよいのでせうか。
 三島由紀夫命、森田必勝命が身を投げうって示された道筋は、いまなほわれわれの眼前に歴々としてゐます。
 その道筋に導かれつつ、日々のまつりごとを正し、精神の営為、わが国の言葉本来の働きを呼び覚ますべく、一層努めるほかありません。他に近道はないと存知ます。
 非力、非才のわれわれに力を与へ賜はんことを切に願ひ奉る。

 平成二十二年十一月二十五日 憂国忌

松本 徹


三島由紀夫氏没後四十年記念出版

「憂国忌」の四十年

「憂国忌」の四十年  昭和46年2月、三島由紀夫氏の思想と行動を通して日本を考えようとの趣旨で「三島由紀夫研究会」は結成された。爾来、原則毎月1回、日本を代表する知識人、教授、文藝評論家などが三島を論じ、思い出を語る会が「公開講座」と銘打たれて開催され、いまも続いている。本書は「憂国忌」開催40年という節目にあたっての、舞台の裏を支えた人々の生きた証言と記録である。
三島由紀夫研究会編
四六判上製/口絵16頁・本文308頁
定価 1,890円(税込)
並木書房刊  電話  03-3561-7062 

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