第32回「憂国忌」の御報告


遺影と位牌

会場入り口には三島先生、森田必勝烈士の遺影と位牌が置かれ、参会者はお参りをしてから入場した。

ロマノ・ビルピッタ教授

熱弁を振るわれたロマノ・ビルピッタ教授。
   第32回目の三島由紀夫氏追悼会「憂国忌」は、ことしも命日の11月25日に九段会館で開催され、満員の盛況となった。
 日曜の夜というのに遠く広島、北海道から駆けつけたファンも混じった。例年通り盛況である。最初に発起人による献花が行われ、井尻千男、篠沢秀夫氏ら八人が参会者を代表して、遺影に白菊を捧げた。献花に先立っての「開会の辞」では写真家の細江英公氏が「先日ニューヨークで行われた国際ペンの三島シンポジウム」に招かれた際のスピーチを紹介した。
 続いて日本浪漫派の研究、とりわけ保田与重郎研究で知られるロマノ・ヴルピッタ(京都産業大学教授)の「イタリアにおける三島理解」の記念講演を聴いた。氏は一時間近くにわたり熱弁を振るわれた。特にイタリアでは今年春に「ローマ憂国忌」が開催され、全イタリアから熱狂的な三島ファンが参集、実に二日間にわたって学者による討論に加え、詩の朗読、空手の奉納演舞、生け花、茶道の実演などバラエティに富んだプログラムが消化された。
 こうした「季節はずれ」とも言えるイタリアの三島ブームは、しかしながら現象的な出来事ではない。三島由紀夫は文学のみならず、イタリア人の魂を揺さぶった精神的、政治的、歴史的な大事件として深刻に受けとめられているのだ。古代ローマからの価値観は武士道に同じく「生命以上の価値」の存在を巡り、キリスト伝来以前の古代ローマの武士には儀式としての切腹もあった。
 三島がヴァチカン美術館でもっとも魅入った彫刻は「キリスト伝来以前」の美を象徴するアンティノウス像であったように(「アポロの杯」参照)。三島がもっとも強い影響を受けたイタリア人作家はダヌンツオで「聖セバステャンの殉教」はあまりにも有名だが、ほかに「死の勝利」などは三島作品「岬にての物語」に深い影響がみられる(なおビルピッタ氏の講演要旨は12月20日発売「月刊日本」に掲載される)。
 憂国忌は講演の後、恒例の懇親会に移り、野間健氏が司会、世話人代表の宮崎正弘が森田烈士の故郷・四日市に森田必勝の銅像が建立されたことを報告した後、小室直樹、中村彰彦、小田村四郎、藤井巌喜、古賀俊昭(東京都議)、また熊本の学会から駆けつけた「三島研究会」初代事務局長・関健ら、各氏から貴重な挨拶があった。
 こうして和やかな雰囲気の中にも厳粛、盛会な環境の中にも静謐、参会者は三十一年前の三島義挙をまるで昨日のごとくに会話し、日本への愛と憂いを語り合った。
 また全参会者の名簿を奉納する墓前報告祭は翌週の日曜日、12月2日に多磨霊園の三島由紀夫家墓地で開催され、神道による祝詞奉読、玉串奉奠の儀式が厳粛に執り行われた。
満員の会場
満員の会場が、かくも静謐なムード。
懇親会
引き続いての懇親会ではなじみの人たちが新参加者と和やかに談笑が続いた

珍しい笑顔の写真
「おしゃれの秘訣はね」
 この写真は昭和44年7月5日『女性自身』の対談ぺ一ジで神津カンナと対談した時のものです。カンナ嬢はまだ小学校5年生。
 カンナ嬢が『おじさんのオミシャレの秘訣は何ですか』とたずねた際、三島氏が『おじさんのおしゃれの秘訣はね、十年前に流行したものを着るんだよ』と答えたことを鮮明におぼえています。(村田倫也)
  珍しい笑顔
撮影 村田倫也



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